「ケツ脳」のヤツには何を言ってもムダ

映画や本の感想を中心に、日々感じたことなどを。

オタクに憧れる

 

私はずっとオタクに憧れている。

 

友達には昆虫オタク、恐竜オタク、ゲームオタク、哲学オタク、クラシックオタク、映画オタク、音響オタク、電車オタク、サッカーオタク、ビールオタクなどいろんなオタクがいる。

 

そういった人たちに憧れる。

 

 

私は何を好きだと言ったらいいんだろうといつも考えている。

 

生きてるのは楽しい。ギリギリで生きているわけではない。

音楽を聴くのも、映画を観るのも、漫画を読むのも、お酒を飲むのも楽しい。

バイトも勉強も就活も楽しいと思える時がある。

 

だけど何か一つのことにこだわれてはいない。

こうして自分を見つけたくてブログを始めても、誰かのためになるような記事なんて書けやしない。

自分のことだけだ。自分とその周りのこと以外に何の関心も抱けていない。

 

別になんのオタクでもないやつがほとんどだということはわかってる。

だけど、自分の分野や専門を持ってる人を見ると酷く自分が浅はかで無用な人間に思える時がある。

 

人と比べずに、ただその対象が好きで、熱中して、オタクになることに憧れる。

だけど、私にあるのは劣等感だけだ。

 

何かを好きになっても、その対象をより好きな人がいて、そうしてくじける。

そこまで好きになれる情熱を私は持っていないのだと、虚しくなる。

 

 

こうやって自意識の置き所に悩むのも、ごく一般的なことだ。

自分が特別な存在ではないことなんてとっくの昔に知っている。

 

小さなころから、エジソンやファーブルなんかの子供向けの伝記を読んだりして、そのころからなんとなく自分は特別な人間ではないことには気づいていた。

そんな奴が世の中大半だから、「ごく普通の高校生」や「さえないサラリーマン」がヒーローになる物語が世の中に受けるっていうのもなんとなく感じた。

 

 

ナンバーワンにもオンリーワンにもなれない人間だという本当は受け入れたくない事実を私はしぶしぶ受け入れている。

だから、大して面白い話も有意義な話もできないくせに、自分に自信があって自分を特別だと思っているような人間が嫌いだ。

だから、自意識と関係のないところで、純粋に対象に情熱を注げるような"オタク"に憧れる。

 

努力が足りない、オタクは労力を対象のために割いてる、とも言えると思う。

しかし一方で、「オタクになりたい」というところに対象がある時点で自分はどうやったって駄目なんだと思う。

 

 

自分の好きなものを、好きだという理由からだけで、自分の中で温められるようになりたい。

他人の目や、好きの順位や、虚栄や、承認欲求から切り離して、自分の好きなものをただ純粋に好きだと思えるようになりたい。

 

 

だけどそれは、言うほど簡単なことではないと思う。