「ケツ脳」のヤツには何を言ってもムダ

映画や本の感想を中心に、日々感じたことなどを。

頭を使うことがしんどい

大学生の身でありながら、頭を使うことがしんどい。

頭を使うと疲れるし、わからないものに直面してそれをわかろうとしているとき、なんだか自己否定感も積もっていく。

 今日は天気が悪くて、気分も欝々としてる。

じゃあ、天気がいい日は素敵な気持ちで生きてるか?と言えば違う。

昨日は、先月は、1年前は、10年前は・・考えてみればいつだってもやもやといろんなことを考えながら、わからないものにぶつかって、苦しい気持ちになっている。

 

先日、電通の東大卒の女性が自殺したことが話題となっている。(こういう書き方をすると不謹慎かもしれないが・・・)

彼女の苦しみを考えると、私の苦しさなんて本当にしょうもないようにも思えるし、それもまた正しいと思う。

だけど、そんな正しさをクソくらえだと吐き捨てたい気持ちもある。

 

そんなに考え込むなよ、という言葉には純粋に相手の健康を思う優しさと、非生産的なものへの否定の2パターンがある、と思う。

後者は自分の中に抱えているものでもある。

何か自分の実現したいものと今の自分を直線で結んだとき、こんな苦しみはそれをブレさせるノイズでしかない。

じゃあその実現したいものの先に何があるのか、と突き詰めてしまえば何もない。憧れだったり嫉妬だったり自己満足だったり、結局は全部快楽でしかないのかなとも思う。

別にそのことに特段虚しくなったりはしない。

 

自分が何者か、なんて考えても、たぶん私は蟻一匹と同じようなものでそれ以上でもそれ以下でもないのだと思う。

ただ蟻一匹でも、蝶を見れば蝶になりたいと思うし、バッタを見ればバッタになりたいと思うわけで、そうなれる可能性があるとすればなおさら何かになりたいと思う。

蟻であることを誇りに思ったり、恥じたりする、別に普通のそこらへんにいる蟻でしかない。

蟻は考えたりしないと思うかもしれない。だけどそうとも言い切れない。蟻が考えないというのは科学的な常識でしかない。

結局自分以外のものの意思なんてわからないんだ。自分さえもわからない。自分の中身を透明にして全部説明できるかというと無理だ。せいぜいこの辺に胃があって、このへんにこういう筋肉があって、ここに血管が通ってるとかそういった類のことしか説明できない。

 

なんで生きてるんだろう、というのは生きることへの諦めのために使われるだけの問いかけじゃない。

なんで生きてるんだろうという問いに、生きてれば楽しいことがあるよと言うのはなんだかズレてる感じがする。

自分はなんで生きてるんだろう、蟻はなんで生きてるんだろう、なんで歴史があるんだろう、だけどそういう問いかけはもう昔の偉人が答えを出してくれているような気がしてそれほど興味はない。

 

ただ考えることがしんどい、頭を使うことが疲れる。

生きているとき常に考えているかといえばそんなことはないけれど、考えて生きてるときその時はとにかくしんどさを感じる。

ただ考えてるとき、考えているということは確かなように感じる。これも誰かが言っていたような気がするけれど。

 

考えればお腹がすく、それでいいような気もするしそれは悪いことのような気もする。

とにかくいろんなことがわからない。一つずつわかっていくプロセスをたどれない。

 

少し苦しくて、根本的にはどうでもいいような、そんな蟻の話。